
Eyden
地元とクルーが原点。リアルで突き進む現在地
Text & Photo: Atsuko Tanaka
千葉発、注目のラッパーeyden。20歳でラップを始め、わずか3年で『ラップスタア誕生』優勝という快挙を成し遂げた。地元の仲間と作る作品、アメリカでの現地体験、そして彼がこれから目指す先とは。今のシーンに向けたリアルなメッセージと、揺るぎないヒップホップ愛を語ってもらった。
―どのような子ども時代を過ごしましたか?
一人っ子なんですけど、虫とか生き物と遊んだり、親父が整備士だったんで、工場に行って遊んだりしてました。おふくろは、俺が中学生になるくらいまで飲み屋をやってたんで、そういうのを見て育った感じですかね。
―中高生の頃はどんな日々を送りました?
基本、家にいるより友達と遊んでましたね。音楽はまだやってなくて、ただ聴くのが好きって感じで。
―お父さんがヒップホップ好きだったとか?
親父もおふくろもディスコ世代で、ブラックミュージックが好きだったんで、車の中ではいつも2PacとかSnoop Doggとかが流れてました。
―高校卒業後は車の専門学校に?
そうすね、整備士をやろうと思ってたんで。その専門に通ってた頃、知り合いに千葉のLOOM LOUNGEっていうクラブに連れてってもらって、そこで影響を受けてMPCを買って、ビートを作り始めました。
―ラップするにはビートが必要だから、自分でビートも?
いや、その時点ではまだラップはしてなくて、単純にビートメイクがしたくて作り始めたんです。それで、今のマネージャーのマーちゃんとか、バックDJのNaoyaがLOOMでイベントをやってて、「ちょっとラップしてみ」みたいな流れになって、自分のビートでラップするようになった感じです。二十歳くらい、2018年とか2019年ごろですね。
―当時、影響を受けたラッパーは?
千葉の先輩で、ずっとLOOMでやってた人とかは普通にヘッズとして見てましたけど、昔からUSのラップが好きなんで、日本のラップよりもそっちに影響されてると思います。当時はトラップが流行ってて、トラップの曲とか、YGとかをよく聴いてました。
―活動としては、ラップスタアに出るまでは地元でライブ中心?
そうですね。LOOMでライブしたり。松戸の先輩でBASH da RIPPAのラップがめっちゃ好きだったんですけど、その人に「ラップスタアに出たほうがいい」って言われて、ギリギリのタイミングで応募しました。番組自体は見たことなかったけど、謎の自信がありました。
―ラップを始めて3年で優勝ってすごいですよね。
ですね、びっくりしました。
―優勝して、何か変わりましたか?
だいぶ変わったすね。ラップスタアに出る前は、千葉でラップしてる人も少なかったんで、その界隈でちょっとずつ知られるようになってきたかなって感じだったけど、番組に出て一気に聞いてくれる人が増えて、知名度が上がりました。
―振り返ってみて、勝った要因って何だったと思いますか?
俺が一番ヒップホップを好きかもしれないな、みたいなのは感じたすね。まあ、みんなも好きなんだろうし、比べることじゃないですけど、「お前らには負けたくない」って気持ちはありました。
ーその後はどう活動していきましたか?
それまではSoundCloudだけだったんですけど、AppleとかSpotifyでも配信するようになって、いろんなところでライブするようになりました。あとは会社を立ち上げて、自分が社長で経理はおふくろにやってもらってます。でも社長って大変ですね。1人で考えててもしょうがないんで、おふくろとかマーちゃんに、資金繰りをどうするかとか相談してます。
―今年はEPを2枚出しましたね。「Project」と「HoodPlayaz」。
最初の「Project」は、ちゃんと狙って作ったんで、うまくいった感じですね。「HoodPlayaz」は自分の好きな感じで、クルーのメンバーも入れて作ったんですけど、1枚目ほどは聴かれてない気がして、勉強になりました。
―制作中に印象的だったことは?
同い年の友達がビートメイクを始めたんで、その子のビートを使ったり、クルーのみんなに参加してもらったり、身近なメンツで作れたのがよかったです。千葉のカルチャーってまだまだだから、それを広げる一歩になれたらなって気持ちで、楽しく作りました。やりがいあって、気持ちよかったですね。
―今後の展望は?
ラップスタアで優勝した直後は、目的もなくがむしゃらにやってたんですけど、最近やりたいことが少し見えてきて。クルーとしてもっと上がりたいし、レーベルも立ち上げたい。あと、アメリカに行って英語話せるようになりたいです。
―これまでの成長を振り返ってどう感じますか?
始めた頃はとにかくラップがうまくなりたくて必死だったけど、今は「ラップだけじゃダメだな」って思うようになって、成長してるのかは分かんないけど、いろいろ考えるようにはなったと思います。
―困ったときに相談できる先輩はいますか?
Bucksくんとか、YZERRさんとか、お世話になってます。話聞いてもらったり、気にかけてもらえて、本当にありがたいですね。
―今までの活動を通して最も嬉しかったことは?
今のところは、自分のチェーンを作ったことですかね。あとはモンテカルロを持ってるんですけど、車検が切れてて今直してて、見通しが立ってきたんで、それも嬉しいです。
―逆に挫折を感じたこと、悔しかったことはありますか?
最初の頃は調子乗ってたわけじゃないけど、謎の自信があって。でも優勝して以降、自分に足りない部分がどんどん見えてきて、「うわー…」ってなったことはあります。千葉代表としてやりたいことはあっても、できてなかったし、背負うものが増えた感覚はあります。
―ライバルと感じるラッパーはいますか?
同世代で言えば、Watsonくん。似たタイミングで売れ出してて、バーっと有名になってるんで、すげえなって思うし、自分もやらなきゃって気持ちになるっすね。BucksくんやYZERRさんも、もちろん意識してます。
―シーンの変化についてはどう捉えていますか?
俺がLOOMに通い始めた頃は、ヒップホップが本当に好きな人たちがやってて、いなたいけど濃い感じがあって、それに食らったんですけど、最近はラッパーが一気に増えてきて、ちょっとよくわかんなくなってる感じもあります。でも千葉代表として、かっこいいラップする若い子を引っ張っていけたらと思ってるすね。
―他のラッパーの曲は聴きます?
日本のは知ってるやつの曲は聴きますし、海外のノリをうまく体現してる若手とかもおもしろいなって思って聴きます。でも結局、海外のばっかり聴いてるかもしれない。LAのShoreline MafiaとかYGとか、ずっと聴いてます。
―実際に海外に行ったりしてますか?
去年、初めてアトランタとLAに行きました。アトランタは当てもなく行って、知ってるDJにクラブに連れてってもらったり。空港近くのモーテルに泊まったら、浮浪者みたいなやつに絡まれて、たまたまそこに家族で住んでる人に助けてもらって。
―えっ、一人で行ったんですか?
はい。LAは途中からクルーのやつを一人呼びましたけど、それまでは一人で。
―それでいきなりアトランタって結構衝撃的じゃないですか?
衝撃でしたね。都会の方は全然シティなんですけど、空港の周りって結構田舎で。初めてだったんで、ほんと「全部ヒップホップじゃん!」って思いました。楽しかったけど、今思うとちょっと怖かったですね。
LAでは、ビートメーカーのトシさんに現地のプロデューサーを紹介してもらって、スタジオ入ってラッパーの5Muchってやつと「wap wap wap」って曲を作りました。彼は映画『Training Day』に出てくる「ジャングル」ってエリア出身らしくて、めっちゃ無口なのにブース入ったらバーッてラップかまして。「すげぇ、これが本場か!」って思いました。
―貴重な体験ですね。曲作り以外は、どんなことをしたんですか?
後から来たクルーのやつが免許持ってたんで、レンタカー借りていろんなとこ行きました。LAって田舎っぽさもあって、袖ヶ浦とか木更津に似てる雰囲気ありましたね。ストリップにも行きました。チップ用に100ドルを1ドル札に両替すると、ゴムで束ねられて渡されたりして、「これこれ!」って、日本とは違う感じでおもしろかったです。
―では、日本のヒップホップシーン、今後どうなったらいいと思いますか?
日本国内でもっとマーケットが広がればいいと思うし、ヒップホップはアメリカ発祥なんで、日本の人にももっとUSの曲を聴いてほしいなって思います。
―アーティストとして大事にしてることは?
考えすぎない方がいい曲ができたりするんで、ソロのときは思いっきり好きなことやって、クルーでは自分で考えながら、みんなと共有して作っていくスタイルですかね。
―ご自身の音楽スタイルを一言で表すとしたら?
う〜ん……あまり考えたことなかったけど、「ハイブリッド」ですかね。本場と日本の垣根を越えたい。初めから向こうの音が好きだったんで、それを変えるのも違うし、好きなものって変わらないじゃないですか。だから、これからもそこは大事にしたいです。
―ご自身のMVで一番好きな作品は?
映像だけで言えば、最近出した「Dojo2」ですね。自分のやりたいことが表現できて、思ってた通りの感じに仕上がって、おもしろかったです。
―自分ってどんな人だと思いますか?他人とのギャップは?
自分で思う自分は、けっこう真面目で、諦めが悪い。他人からは、人によると思うけど、頭悪そうって思われてるかも。誤解されてる部分はあるかもしれない。
―自分の夢を実現するのに悩んでる人にアドバイスするとしたら?
悩みの内容にもよるけど、夢を叶えるにはお金が必要だし、その葛藤って誰にでもあると思う。でも、結局は「諦めるか、諦めないか」だと思うから、やっぱり諦めないことが一番大事ですね。
―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーはいますか?
Shoreline Mafiaとか、USのラッパーやプロデューサーとやれるようになりたいです。でも、数字の規模が全然違うんで、そこは努力するしかない。頑張って、向こうの有名なラッパーやプロデューサーとつながって、2年後には自分のレーベルも動かしたいですね。
―いずれはアーティストを育てていく側に?
ずっとラップだけで食っていくのは難しいと思うんで、ビートメイクやプロデュースとか、音楽関係のことはずっと続けてたいです。
―今、世界で起こっていることで気になることはありますか?
日本、大丈夫なのかな?って。お金が回ってない感じがあって、俺が生まれてからこんな社会は初めてだから、これからどうなるんだろうって不安はあります。
―最後に、eydenさんにとってヒップホップとは?
他の国で生まれた文化だけど、自分にとってはエネルギーの源。学校で勉強してるような感覚もあります。人間関係もそうだし、日本にはない「ハングリー精神」みたいなものがヒップホップにはあって、それがかっこいい。だから、自分もラッパーになった以上、そういうものを体現しなきゃって思ってます。
Special Thanks: Bardest