hideyoshi

音楽のスタイルは一言で表すと「自由」。色んな方向に分岐していても、トータルで見て自分であればいい

Text & Photo: Atsuko Tanaka


ELITE SESSIONS第3回目のゲストは、Hideyoshi。兄の影響で幼い頃からパンクやハードロック、ヒップホップを聴いて育ち、高校生の頃から本気でラップに向き合うようになる。その後高校生ラップ選手権に出場するなどして活動を始め、2018年にシングル「My Type」とEP「Never Be the Same」をリリース。2020年1月にリリースした「Majinahanashi」がYouTubeでヒットし、再生回数は現在約755万回を記録中。独特な世界観を放ち、心の内側に潜む本音や葛藤をストレートにラップするスタイルは、国内外でアツい支持を得ている。そんなHideyoshiが先月初のアルバムをリリース。アルバムに込めた想いや、幼少期の頃のことからこれまでの活動を通して学んだことなどを聞いた。


―アルバムのコンセプトやテーマを教えてください。

明確なコンセプトは特になくて、その時々で感じたことを落とし込んだ感じですね。「Majinahanashi」以降いろんな人に聴かれることが多くなって、その後色々試行錯誤しながら作り続けてはいたんですけど、時間が経つと自分の考え方が変わったりするので、ちょっと違うと思ったらボツにしてまた作り直してって感じで少しずつ進めてました。

 

―タイトルの「Resurrection(復活)」に込めた意味は?

アルバムを出して欲しいって言ってくれる方も多かった中、前のEPを出してから2年ぐらい経っちゃってたんで、「復活」っていうのもいいかなって。「またシーンに戻ってきたよ」っていう意思表示でもあります。出す前は注目してもらえるかなとか、みんな聴いてくれるかなとか不安な部分もありましたけど、出したらいろんな人からメッセージをもらって、やっぱやめられないなって、もっと頑張ろうって思いました。

―いろんなビートメイカーのトラックを使われていますが、どのようにして選んだんですか?

dubbybunny くんとZOT on the WAVEさんは、以前から付き合いのある信頼できるビートメーカーで、今回もお願いしました。UKのkazzaはAJ Traceyっていうアーティストの曲を聴いて知って、めちゃくちゃいいなって思って本人にDMしたんです。そうしたら俺のことを知っててくれて、是非一緒にやろうってなりました。

 

―ビートはいいと思ったら、いつも自分からコンタクトを取る感じですか?

今回みたいに直接連絡を取る場合もあるし、ビートを販売する媒体を経由して購入する場合もありますね。

 

―フィーチャリングの方たちはご一緒されてどうでした?

Jin Doggくん以外はみんな初めてでしたが、自分がかっこいいって思って選んだ人たちなので、やっぱすげぇな、かっこいいなって思うことばかりでした。すごくいいヴァースが多くて、予想以上にいいものを作ってくれました。

 

―制作していく中で、印象的な出来事はありましたか?

前のEPやミックステープでは自分のクルー以外のアーティストと作ったことがあまりなかったから、それぞれのレコーディングの方法だったりを知れてすごい刺激になりました。あと、YZERRくんとはGQの企画でドキュメンタリーを撮りながら進めていったので、新鮮ではありましたね。

 

―特に気に入ってる曲は?

Jin Doggくんと作った「euphoria」 っていう曲はレコーディングのタイミングでミュージックビデオの構想を考え始めて、やりたいことが明確に見えていたので、そういう意味では思い入れ深いかなと。サーカスの人とかに出てもらって、廃業した遊園地で撮影したんですけど、僕が小中の頃に観てたポップパンクのミュージックビデオの雰囲気を自分なりに落とし込んで考えて作りました。

―アルバムを通して、ファンの人たちにどんなことを感じて欲しいですか?

感じ方は人それぞれだと思うんで、その人の好きなように解釈して、単純に音楽として楽しんでもらえたらなと思ってます。

―では過去に遡って、幼少期の頃のことから聞かせてください。千葉の船橋出身とのことですが、どのような環境で、どのような子供時代を過ごしましたか?

小学校3、4年くらいまでは、週末はどこかに旅行に行ったり、海外旅行も半年に一回に行ったりとか、すごい裕福な暮らしをしてたと思います。だけどその後父親の仕事の都合で、電気、ガス、水道も払えないくらい全くお金のない生活に変わって。それで両親は離婚して、母子家庭という形になりました。

 

―それは大変でしたね。ご両親はそれぞれどんな方でしたか?

母親はコロンビア人で、厳しい部分もあったけどすごい優しい人です。父親はあんまり喋らないですね。静かに、いつもお酒を飲んでる感じ。

 

―当時好きだったこと、将来の夢などありましたか?

プロレスが好きだったので、アメリカの WWE とかを見てプロレスラーになりたいと思ってましたね。でも、高学年くらいから身長があんまり伸びなくなって諦めました。不登校気味になって、父親のパソコンで YouTube を見ていた時に、Lil Bow Wowが出た「Like Mike」っていう映画と、彼がファボラスとやった「Basketball」のミュージックビデオを見て、子供でもこんなかっこいいことやれるんだってすごい憧れを抱いて。それ以降ずっと YouTube でヒップホップに関連するものを見たり、聴いたりするようになりました。

―中学生の頃はどんな日々を過ごしていました?

中1の時に、母親と兄と東京の港区に引っ越しました。港区ってすごいエリートで頭がいい人ばっかりで、自分みたいなのと合う人はいないんじゃないかって気構えてたんですけど、そんなことは全然なくて。都営住宅に住む母子家庭の子だったり、他の学校をたらい回しにされてきた子とかが結構いて、逆に居心地が良かったです。当時は周りの友達の影響もあって、オラオラな感じの格好をしたりしてたけど、そこまで不良してたわけではないです。

 

―その頃も相変わらずヒップホップは聴いて?

そうですね、その頃日本のヒップホップに出会いました。中学のクラスメイトがDJ HAZIMEさんの「JAPANESE HIP HOP HITS」っていうミックス CD を貸してくれて、日本のヒップホップもこんなにカッコいい人たちがいるんだって知って。

 

―特に影響を受けたアーティストは?

TOKONA X さんですね。愛知の方言でラップをしていて、尚かつすごいかっこ良さが滲み出てるアーティストだなって印象を受けました。

―ご自身もラップをするようになったきっかけは?

中学の頃から色々と遊びまくって、地元の先輩とちょっと揉め事を起こして、友達や親にすごい迷惑かけてしまって、その時に色々思い悩んだんです。自分は何がしたいんだ、今後何をしていくべきなのかってすごい考えて。好きなものは何かって言ったら、ヒップホップはずっと聴いてきたので、じゃあラップをやり始めようかなって思って。その頃高校生ラップ選手権が始まっていたんで、これに出たら知名度とかも上がるし普通に良い宣伝になるんじゃないかと思って、フリースタイルもラップもしたことなかったけど、友達を通してWeny DacilloやVingoくんを紹介してもらって、みんなで代々木公園でサイファーをひたすらやってました。

 

―ラップはやってみて、結構行けるって自信はあった?

あれで合ってたのかはわからないけど、楽しかったし、自信もあったかもですね。自信過剰ぐらいの、「俺イケてるっしょ」っていうマインドで(笑)。それでラップ選手権に応募したら、受かって出たけど負けて。負けても最初はいろんな人に見られたことでちょっと天狗になったりしてましたけど、やっぱりどんどん悔しくなっていって、もう1回出たけどまた負けて。俺にはラップバトルは向いてないんだなと思いました。

 

―高校卒業後はどうされたんですか?

衣装提供をしてくれてたアパレルブランドで働き始めて、その頃から洋服に関心を持つようになりました。すごい高いTシャツとかパーカーとか最初はいらないと思ってましたけど、社員の人が着てるのを見てたらカッコいいなって思い始めて、給料の半分は洋服代に使ってギリギリの生活みたいな感じでした。

 

―ラッパーの方の活動も変わらず続けて?

そうですね。でも、当時週6ぐらいで働いて拘束時間も長かったんで、音楽の方はあまり意欲的になれてなかったんです。そうしたらそのうちWenyがEPをリリースして、いろんなところでライブをしたりするのを見て、悔しいって思い始めて。VingoくんもBAD HOPとして活躍し始めたり、俺だけが取り残されている気がして、働きづくめの生活から抜け出したいと思って、週1の休みは全部スタジオに入って意欲的に制作するようになりました。

 

―転機になったきっかけは?

その後「My Type」っていうシングルと「Never Be the Same」という EPをリリースしました。その頃クラブにもよく行ってたので、そこで知り合った友達も多くできて、そういう出会いからSKY-HIさんの曲に参加させていただいたり、AKさんの武道館のライブに出させていただいたりしたんです。本当に人との繋がりって大きいなと改めて感じました。それから、その間に制作してた楽曲でミックステープを作ったり、「MAJINAHANASHI」を出して。

 

―「MAJINAHANASHI」がすごいヒットしたことは、ご自身ではどんな風に感じてました?

こんなことあるんだって思うくらい、びっくりでしたね。最初出した時は再生回数1万回行くか行かないかぐらいで、日本の方に「こんなの誰でも作れるでしょ」みたいなこととかめっちゃ書かれたりして、しょんぼりしつつも次頑張ろうって思ってたんですよ。そうしたら、ロシアの人で10万人ぐらいフォロワーがいる方が、「この日本のラップ、やばくね」みたいな感じであげてくれて。そこからどんどん広がって、次はアメリカのインスタで音楽を紹介するところが紹介してくれたりして、色々な所で再生が回っていって、おすすめで出てくるようになったんですよね。DJ Carnageさんからもいきなり「YO!!」って DM が来たりもしました。気づいたのが後だったんで、連絡返すタイミング逃しましたけど、そうやって広がっていろんな国の方に聴かれて、本当に嬉しかったですね。

―コメント欄を見ても、海外の方が多いですもんね。

僕の YouTube アカウントの登録者は海外の方が60%くらい。コメントは何語かわからないものもあるんで、全部は把握してないですけど、いろんな考え方があるんだなあとか、参考にしたりしてます。

 

―「MAJINAHANASHI」がヒットした後は、どんな動きを?

その後にシングルで「Jitsuryoku」という楽曲を出しました。国内外で好んで聴いてくれる方が増えて、嬉しかったですね。この曲で一緒にやったralphは、当時はまだ面識がなかったんですけど、彼の曲やミュージックビデオがめっちゃくちゃカッコいいって思ってたら、彼のインスタに「本日渋谷でライブ」ってアップされてるのを見て、仕事切り上げてすぐ観に行きました。ライブが終わった後話しに行って、一緒に曲やろうってなって。あともう一人誰か欲しいってなった時に、Leonとは高校生ラップ選手権で戦ったり一緒に遊んだりしたことがあったけど、まだ曲は作ったことなかったんでいいなと思って、それで3人でやることになりました。

 

―Hideyoshiさんの曲のタイトルは日本語が多いイメージですが、何か意識してるんですか?

タイトルは結構適当につけてますね(笑)。「Jitsuryoku」は、みんなめっちゃゴリゴリラップしてるし、最初に俺が「完璧実力主義」って言って、最後ralphも言ってるから、じゃあ実力にすっかみたいな感じで。「MAJINAHANASHI」は、フックが「マジな話」だったんで、じゃあそれだなって。表記は日本語だと海外の人に分かりづらいかなと思って、ローマ字にしてます。

―フックが覚えやすい曲が多いことも、Hideyoshiさんの曲の特徴のように思いまが、いつもどういう風に思いつくんですか?

ビートを聴いて、鼻歌から始めますね。鼻歌で歌えるレベルって複雑じゃないし、頭に残りやすいと思うんで、それぐらいがちょうどいいのかなと思って。フックを作ってからヴァースを作る感じで、結構シンプルにやってるかもしれないです。

 

―今回のアルバムもフックが頭に残る曲が多いですが、「Shinpainai」は今の時代に必要というか、自分を含めて元気づけられる人が多いんじゃないかなって思いました。

この曲はAKLOさんにフィーチャリングで入っていただいて、さらにどんどん良くなっていきました。実はAKLOさんとの初めて会ったのは、僕が中学生くらいの頃で。たまたま僕の地元で歩いてるAKLOさんに出くわして、声をかけたんです。その後自分が高校生ラップ選手権に出た時にAKLOさんがゲストでライブで出て「結構すぐ会えたじゃん」って言ってもらえて、その後にAKLOさんの「RGTO」 っていう曲のMVでエキストラとして入って、「また会ったね」ってなって。初めて会った時から10年くらい経って、僕も音楽活動をちゃんとやって今だったら一緒に作れるんじゃないかなって思ってお願いしました。


―これまでのご自身の活躍ぶりを振り返ってみて、どんな風に成長したと思いますか?

成長してるかどうかわからないですけど、前にはちゃんと進んできているかなとは思いますね。前に働いてたアパレルの社長や、AKさんとかSKY-HIさんとか、すごい成功されてる方のお話を聞かせていただいて、考え方や行動の仕方を学ばせていただいて、それを得て成長した部分はあると思います。

 

―どなたかから受けた影響で、特にHideyoshiさんの中に生きてるものはありますか?

近々ですと、YZERRくんと話していて、自分やクルーのためだけじゃなくて、日本のヒップホップシーン全体を底上げしていこうと考えてる人なんだと知って、それがすごい印象に残りましたね。全体を上げていくために、いろんな行動や言動だったりをしていて、すごい人だなって。

 

―これまでの活動もしくは人生を通して、挫折を感じたり、ひどく落ち込んだことはありますか?

「SUICIDE」っていうBAD HOPのリミックスに参加させていただいた時ですかね。某番組に出ていた女の子の友達が自殺で亡くなった頃で、本当に珍しく柄にもなく落ち込みました。僕はプロレスがずっと好きだったから、お兄ちゃんと一緒に彼女の試合を観に行ったりもしていて、「今度Hideyoshiくんのライブに行くね」なんて話をしていた後の出来事だったんで、自分にもっとできることあったのかなとかって思ったり、色々と考え込んで。リリックを書くにも自殺というテーマが重すぎて、本当に自分も自殺するんじゃないかってくらいの気持ちになったりもしました。でもそんなに重苦しいことを歌っても聴いた人は元気でないなって、もっとポジティブなことを伝えるべきだって考えて書き直しました。

―それはとても辛い出来事でしたね。では、Hideyoshiさんがラップを始めた頃と今を比べて、ヒップホップシーンは変わったと思いますか?

180度ぐらい変わったと思います。俺が高校生ラップ選手権に出た頃は、日本語ラップはまだ大衆向けのものではなくて、本当に好きな人だけしか見ないものだったと思います。でもあの番組でMC バトルを見る人が増えて、若年性に広まって、それが基盤になって「フリースタイルダンジョン」ができて、テレビで放送されてシーンがもっとデカくなっていって。それから「ラップスタア誕生」が始まったり、この前の「POP YOURS」っていうようなフェスも開催されるようになった。幕張メッセでラッパーがライブするなんて、昔は想像できなかったですよね。その時代ごとに若者に支持される音楽があるけど、今日本の若者の中で一番聴かれているのはヒップホップなんだろうなって思います。

 

―今後日本のヒップホップシーンがこう変わったらいいのにと思うことはありますか?

これ以上にどんどん広がっていけばいいなと思います。ファッションとも密接で、全体的に良い兆候と思えるんで、これを継続して規模がもっと広がっていったらいいなと。ラッパーで頑張ってる人全員がちゃんとお金を稼げて、ある程度幸せに暮らせるぐらいに。現状でなってる人も増えてきたので、それが当たり前になればいいですね。

 

―それでは、ご自身の音楽スタイルを一言で表すとしたら?

「自由」ですかね。あんまり捉われたくない性格なんで、こういう曲をやろうと思ったらそれを作ります。今回のアルバムも、全体的に一貫性があるかっていうと違って、色んな方向に分岐してたりもするけど、トータルで見て俺であればいいなと思ってます。

―自分のリリックで特に好きなものは?

「Makes Me Happy」っていう曲の「家族を連れてく鉄板焼」ですかね。去年の末くらいに、実際に家族全員を鉄板焼きに連れていったんですよ。小さい頃に父親がよく連れていってくれてたんですけど、それと同じことを自分ができるようになって、昔と変わった今の自分を象徴することだなって思うし、そういう意味ではそのリリックが印象深いですね。

 

―最近Hideyoshiさんの中で流行っている、一番よく使う言葉は?

「パワー!」ですかね。友達となかやまきんに君の動画をよく観ていて、いつも面白えなって思ってるんですけど、乾杯のタイミングとかで言葉とか何か言うのがめんどくさくなった時に、「パワー!!」でいけるなと思って(笑)。テンションも上がるし、いいと思います。

 

―ご自身が思う自分はどんな人ですか?

年を重ねるごとにいろんなことに慣れて、昔みたいに感情が動くことが少なくなっているので、そういう意味では“壊れてる”のかな。でも、すごい好きな人には好きだって言ったり、天真爛漫に生きてるつもりでもありますけど、冷めたところもあるし、複雑ですよね。臆病だけど図太さもあるし、簡単に自分を表せるような言葉は見つからないです。でも、だから曲を作って表現するのかもしれないですね。

 

―これだけは他人に負けないと思う点は?

すごい人っていっぱいいるから難しいですけど、ある程度は真面目ですかね。あとは、あんまり図に乗りたくないので、謙虚でいることは常に心がけてます。

 

―尊敬する人や憧れる人は?

Kanye West とか、すごい尊敬しますね。人としては不安定だけど、音楽もファッションも全てのことにおいて作り込む才能がすごいなって思います。

 

―今気になるアーティスト、よく聴いている曲はありますか?

ジャンルで言うとAORですかね。最近はボビー・コールドウェルの曲をよく聴きます。80年代、90年代に日本でタバコの CM で流れていた曲をYouTube で流したりして。そんな感じのリラックス系が多いです。

 

―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーは?

海外の有名なアーティストで作ってみたいなって思う人はちらほらいて、UKのOctavianとか、ナイジェリアのBurna Boyは、人生でいつかやれる機会があったらいいなと思いますね。上を見たらキリがなくて、もちろんカニエとかともやれるような人間になりたいと思います。

―今世界で起こっていることで気になることを教えてください。

ここ数年はコロナだったり、ロシアとウクライナの戦争だったり、いろんなことが起きて、自分の周りでも、ロシア人の友達の親御さんが国に帰ったりとか、少なからずいろんな影響が出てきて悲しいです。本当に平和に、みんなが幸せに生きれば一番いいなと思います。

 

―これから実現したいと思っている夢や目標を教えてください。

とりあえずいろんな国を見てみたいですね。海外に行っていろんな景色を見たり、友達を作っていろんな価値観を知ったりして、いろんなものを吸収しないといけないなって思ってます。ヨーロッパ、特にロンドン、パリ、アムステルダム、バルセロナとかは行ってみたいです。

 

―最後に、Hideyoshiさんにとってヒップホップとは?

自己表現ですかね。70年代にニューヨークでヒップホップを始めた人たちからしたら、オートチューンとかトラップとか、今のいろんなスタイルが出てくるなんて予想できなかったと思います。コアな部分は変わらないかもしれないけど、ヒップホップはずっと変化し続けていくものなので、自己表現の方法かなと思います。


Hideyoshi 1st アルバム「Resurrection」out now

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Hideyoshi Resurrection Japan Tour 6/18よりスタート!