ID

自身の中での様々なフェーズを乗り越えて、初のフルアルバムが完成。リリックに隠したギミックや奥深い意図が詰まった一枚に

Text & Photo: Atsuko Tanaka


ELITE SESSIONS第4回目のゲストは、ID。音楽好きの母の影響で小さい頃からヒップホップを聴いて育ち、多感な青年期を過ごした。高校卒業後上京し、あるDJに出会ったことをきっかけにラップを始める。その後、戦極 MC BATTLEやフリースタイルダンジョンなどに出場し、完成度の高いスキルでその名を馳せた。モデルや俳優としても活躍する傍ら、2018年にファーストEP「INSTANT DOPE EP'」、翌年にファーストアルバム「INSTANT DOPE 10000ft」を出し、異例のロングセラーを記録。そして先月、待望のファーストフルアルバム「B1」をリリースした。制作期間2年を費やしたというこの作品のテーマや、音楽や人生との向かい方など、アツい想いを語ってもらった。


―まず、ニューアルバム「B1」のテーマについてお聞きしたいです。今作は、IDさんの制作の場である“地下1階の音楽ラボから、地上へ向かうフロア(楽曲)ごとに仮想世界のクラブを疑似体験できるような作品”とありますが、どのようにしてそのアイデアが生まれたんですか?

もともと自分の作る曲にあんまり一貫性がなかったというか、いいと思う音楽が変わりやすくて、どうやったら一枚のアルバムに仕立てられるかを考えました。まず全体を違うフロアに分けて、つなぎやポイントごとにギミックをつければ、アルバムとしてうまく伝えられるかなって思って。

 

―いろんな音楽を聴いてきたから作れるサウンドだと思いましたが、制作にかけた2年の間はどんな音楽を聴いていましたか?

ちょうど作り始めた2年前に結構色んな出来事が重なって、家と別にスタジオとして使える場所が欲しいと思って一軒家を借りたんですよ。自分に近しいクリエイターの仲間たちと昼夜問わず制作して、今まで手薄だった部分に向き合おうって思って。なので、そいつらの好きなものとかは流れ込みやすかったすね。色々あるけど、例えば日本人なら矢沢永吉とか岡村靖幸とかから、ロイエアーズとかもめちゃ好きで聴いてました。ジャンル問わずですけど、ローファイとか、スクリューとかちょっと汚した感じのツヤみたいなのが好きなんすよ。

―曲を作るのに、特に意識したり、こだわったところは?

持ってかれる感覚みたいなのは結構意識しました。アルバムとして聴いた時に、ちょっとずつハマっていく感覚というか、ハッとするっていうか、徐々に美意識が肯定されて混じり合っていくみたいな。EDMが好きだからこのサウンドはノレるとか、ダンスホールが好きだからこのグルーヴじゃないとだめだとか、いろんな固定概念を見つけて交わっていく感じ。俺自身もアルバムの中を旅するみたいな、一個小さい箱庭みたいなのを作りたくて、でも解釈は聴く人の自由に、歌詞にはあんまり明確な意味を持たせず、誰がどう思おうが大丈夫そうな文字を埋めて。だからつぶやきに近いですよね。

 

―確かに何を言っているかはあまりわからないけど、聴いていて心地が良い。

どこかの何かが繋がった時に「ああ、こういうことか」みたいになってくれればいいなって。当てずっぽに散りばめてるわけじゃないけど、文脈がハマったり意図が解釈できた時は強いパンチラインより根深く刺さるというか。そういう奥行きみたいな空間を作るとこはこだわったすね。

 

―ちなみにこのアルバムをプロデュースしたNhotL(ナショナルホットライン)はどんな集団なんですか?

簡単に言うと俺が作ったクリエイターチームで、前作の「10000ft」を作った時から関わり始めて、コアに昼夜問わず一緒にやってるやつ3人と、あと他に3、4人います。そいつらは俺とやる前は、自分たちでソロリリースをちょこちょこしてたくらいで、プロデュースとかビート提供はしてなくて、最初の一歩として良かったら俺を使ってみてよって感じて一緒にやり始めたんです。今はただの屋号に近い感じだけど、今後はもうちょっと幅を持たせて、ただビートを提供するだけじゃないプロデュース集団みたいなのになったらいいなと思ってます。

 

―アルバムを作り始めた時は、いつまでに出すっていうゴールは決めていたんですか?

全然なくて、最初はソッコーできると思ってたくらいです。インスピレーションをある程度固めるために、まずビートを先に作ってそれから歌詞を書いてみようと思って、6、7曲ビートを作ったんすけど、「作る音あんま食らわないぞ」ってなって。俺ら変に頭でっかちになって、むしろ勢い落ちてね?みたいな、いろいろ思うことがあった。それから60曲分くらいのビートを作って。マジで修行だったすね。

 

―修行ですか。

理想とするビジョンがあったから、それに向けてみんなで足並み揃えてやろうってなって、それからアルバムを出すまでは夜遊びとか自分のライフスタイルを一回捨てて、バトルやライブとか仕事以外の時間は全て自分の感覚を肯定するために使ってましたね。そういう“時の部屋”に2年ぐらい入ってしまってたので、1年経過したぐらいのタイミングで欲がマックスになって、「これ出したら次の客演はカニエだな」みたいな冗談混じりでもちょっと鼻が高くなって。だけどまたある日を境に突然崩れたりして、そういう煩悩の旅を乗り越えまくって、アルバムを出す時には“無”になってました(笑)。

―悟ってしまったんですね(笑)。

「もう何もいらんや」って、得るものは得たっていう感じで自分の中での次のチャプターにいたんで、あんまり周りに大きい声で騒いで欲しいっていう気持ちはなかったです。でも制作してた時からDMとかで「待ってます」って言ってくれる人たちがいたし、出来上がったものに対しても嬉しい声を届けてくれた。他にも、そんな人たちもリアクションしてくれるんだっていうのもあって。

 

―例えば?

SOUL'd OUTのDiggyさんとか。俺は小さい頃からDiggyさんをめちゃめちゃ聴いてて、ニュースタイルを開拓した人だと思ってるんですけど、次の作品で一緒に曲やろうとか言ってくれて。それは俺の中では時のスターにリアクションされるより嬉しかった。他にも、自分の届いて欲しい人たちには届いてる印象はありますね。このアルバムは、ただ「いいね」って感じで終わってほしくないっていうか、長い時間かけて世の中と交わっていってほしくて。むしろ「なんだこれは」ぐらいで良くて、その「なんだこれは」が徐々に溶けてく方が楽しいかなと。

―では、IDさんの半生を聞かせてください。高知県土佐市で育ったそうですが、どのような環境で、どのような子供時代を過ごしましたか?

埼玉の病院で生まれたらしくて、その後東京のマンションで母親と父親と自分で暮らしてたんですけど、親の事情で俺が4歳の頃に母親の実家の土佐に移ったんです。すげぇ田舎なんで、ハーフの人はゼロ、俺は超レアな存在だったから超いじられて、生傷の絶えない子でした。じいちゃんばあちゃんや親戚からも風当たりが悪く、結構大変でしたね。

 

―お母さんはどんな方で、どんな育てられ方をしましたか?

母親は父親の分も愛を与えてくれました。めちゃくちゃ肯定的で、弱いけど痛快で、筋が通ってないことに対してはちゃんと声を上げる親。

 

―お母さんは音楽がすごく好きな方だと伺ってますが、IDさんがヒップホップを最初に聴いたのはいつ頃?

小1、2とかの物心ついた時からM.O.P.とかウータン、スヌープ、50とか、ネリーとか聴いてたすね。日本語ラップは小6の時にDef Techとかを聴いてました。うちの母ちゃんは俺のクラスの(音楽の)トレンドメーカーだったんすよ。母ちゃんは近所のCD屋でいつもCDを買ってて、家にいっぱいあったんです。そこからこそっと借りて学校に持っていって、お昼休みの放送時間に流してもらって、それがトレンドになるみたいな。ちょっと鼻高かったすね(笑)。

―カッコいいお母さんですね!高校卒業後上京されますが、東京には何歳の頃から行こうと思ってたんですか?

中学の終わりくらいすね。居心地がとにかく悪くて、時間に対してのチャンスがこんなに少ない環境にいるのはまずいって危機感がずっとあって。一番でかい所に行きたかっし、その気になれば何でもなれるしょって、勢いで行った感じ。

 

―行ってみてどうでした?

最初池袋に住んで、上京して3日目くらいにBEDっていうクラブに行って、でも18だったから入れなくて、向かいの喫煙所に座ってたアフロにビビりながら声をかけたんです。それがでかいちっていうDJで、池袋のアンダーグランドを色々案内してくれました。それで彼が車の中でインストを流して「ちょっとフリースタイルしてみろ」って言われてやったら、絶対ラッパーになった方がいいってなって。

 

―それからバトルに出るようになったんですか?一番最初に出たバトルは?

高ラの原型のバトルすね。初めて出た時ベスト8くらいまで行って、調子乗っちゃって。今思えば勝因は成りと声量だったんだけど(笑)。

 

―(笑)。その後戦極に出るようになった?

そうすね。最初出たのはR Loungeだったと思いますけど、「バトルに出たいやつはボールを取れ」みたいな感じで、ステージから投げられたボールを俺が取って。正社員曰く、日本人ひしめく会場の中で190近いブラックがボール取っちゃって、本場来たと思ったら、超日本語でスピットして(笑)、じんわりした雰囲気だったけどウケたぽくって。また遊びにきてよって言ってもらえて、その後エントリーして2、3回出て、だんだん友達とか仲間ができていって、5、6回出たあたりでダンジョンにも出るようになった感じですね。

―楽曲制作はいつ頃からしてたんですか?

バトルに出始める前からやってました。クリエイティビティはあると思ってたから、バトルに出ることで認知度を深めて、そこから自分が本当にやりたい音楽を知ってももらおうって思って。

 

―IDさんの楽曲のサウンドは、バトルしている時と全く違うふうに感じますが、そういう風にはよく言われます?

めちゃくちゃ言われます。解離しすぎて別人じゃん、みたいな。でも楽曲の方を俺と思ってくれたら嬉しいです。バトルは俺にとっては話してるのの延長というか、ちょっとワークアウトみたいなバイブすね。嫌いじゃないけど、楽しいのはやっぱり音楽を作ってる時かな。

 

―活動を始めて約10年立ちましたが、人生が大きく変わった転機や出来事を挙げるとしたら?

精神的に実感出来たのは、自分の口座にサラリーマンよりちょい多いぐらいの振り込みがされ出してからですね。EP を出して、配信のマージンの溜まってた分がガツンと入ってきた時があって、その頃まだ自販機詰めるバイトをしてた頃で、仕事がちょっと早めに終わって、自分が出した作品のエゴサとかしながら、同時に口座をチェックしたら、あれ?って。「俺、生きてけてんじゃん」って思って。

―エゴサは結構する方ですか?

ランキングとか、自分が今どれぐらい注目されてるのかとか、誰がネームドロップしてくれてるかとかチェックするけど、そういうのを見てる自分を俯瞰してめっちゃ気持ち悪くなったりもします(笑)。

 

―今までの活動を通して最も嬉しかったことは?

例えば自分の何かを祝ってもらったり、やってることに協力してくれる人が現れたり、ライブが上手くいったり、見知らぬ土地で愛されたり、たくさん幸せなことはあったけど、一番嬉しかったのは最近すね。ぶっ潰したいやつがずっと自分の後ろからずっとチクチクやってきてたんですけど、そいつがやっと味方についてきたというか、手間取ってた相手にやっとケリつけられたみたいな体感がめっちゃあって。満足を感じるポイントは精神的な時の方が多いんですよね。エピソードではないけどふとした瞬間、「そうそう、こういうのが人生」みたいな、誰かに喜ばせてもらったり何かが起こったから笑みがこぼれるわけじゃねぇんだみたいに思えたというか。

 

―深いですね。

俺はこういう感覚に気づけない場所にいちゃいけなかった人間だって思ったすね。だから都内のど真ん中じゃないところにいるのが合ってる。結局善も悪もないし、優劣もない。でも、こういうことを思ってると、バトル頑張れないんですよね。この前も賞金1千万ぶら下げられても全然鼻息荒くらならなかったんで、これってある意味ED じゃんと思ったりする(笑)。でも、その先に何か新しいことがあったりするから面白くて。好きに歩かせてもらってるんで周りに感謝です。



―では、逆に挫折を感じたことはありますか?

物理的なネガは過去の方が多かったんですけど、この2年の間で、俺の認識度が高まっていって、いろんなところから声がかかったり褒めてもらったり、ポジティブが飛んでくるのに、全然受け止められなくて。「俺が俺嫌いだから、お前が俺好きでも俺は俺嫌いなんだよね」っていう感じ。これって言いようによっては鬱って言えたりするけど、それだけは絶対に嫌で、自分で自分と向き合って勝手に潰れて、病名名乗るなんて俺にはできなくて。

 

―なるほど。

コロナ以降世の中と密接に触れ合えなくなっちゃったのもあって、曲書けねぇとか、何を思ってんだろ俺とかって迷子になって、調整できなくなって。作った曲も最高なはずなのにくすんで聴こえたり、アルゴリズムとかドラムパターンに聴こえたり、自分がつまんねえ人間になっちゃった。「俺これで食ってていいの?」って思う時もあれば、「俺が動いたら最高なんだぜ」と思ったり。その期間は結構きつかったですね。

 

―それはどのようにして解決したんですか?

感情の板挟みで自分でも判別がつかなくなってたんですけど、何周も回って結果“最高”のところに落ち着けた。そうやって悩んでた時にある漫画に出会ったんですよ。新井英樹さんの「キーチ!!」という漫画で、主人公が「ひとりすごい ひとりだいじ みんなひとり 生きる楽しい、ひとりだから」って、一人の大切さを言うシーンがあって、それがすごい心に刺さった。今ってみんなどうにか一人になるのから逃げようとしてるけど、一人って悪いことじゃないんだって、一人の大事さに気づけました。

―では、ラップを始めた10年前と今を比べてヒップホップシーンの変化をどのように感じていますか?

カルチャーの成長がインターネットの発展に引っ張られて、エンターテインメントとネットの結託感の一つのトピックみたいになってるところはあるなと思ってて、嬉しいけど寂しいなって。売れてないバンドを前から目つけてて、売れて寂しいっていうのと似てて、そこでカルチャーのツヤがなくなって、深く音楽を聴かない人が増えちゃってもったいないなって思う。あとは、プレイヤーたちのエネルギーが結果を引き寄せてる部分もあると思うけど、企画したりキャスティングしたり仕掛ける側の人がもっと好奇心を持ってやった方がいいと思いますね。

 

―確かにそうですね。

施策とか提案が保守的すぎて、いろんな可能性を下げちゃってると思う。プレーヤーって縄張りを守んなきゃいけないから、どうしてもピリピリするし、障壁がいろんな所で生じてしまうんだけど、仕掛ける側は何でもできるわけだし、代わり映えのないポップスターを生み続けてもしょうがない。カルチャーが勢い余って上場して潰れるぐらいならどんどん根深く行列を伸ばしてくべきだと。そこを取りまとめる大枠があったら、カルチャーとしての自由度はもっと広がっていくと思うし、ネットのコメント一個で優劣がジャッジされるようなこともなくなるんじゃないすかね。

 

―では、ご自身の音楽スタイルを一言で表すとしたら?

「ツッパリ」すかね。悪くいたいっていう意味じゃなくて、ツッパることのチャーミングさとか、逆に攻撃性とかって人生の窮地にも必要だし、絶頂の時にもなきゃいけないものなんで。Yes/Noは人に委ねるんじゃなくて、最終的には自分で決めなきゃいけないから。俺にとってはみんなでどこに向かうかじゃなくて、自分がどこに向かいたいかが大事。

―ご自身のリリックで特に好きなものは?

「UP」っていう曲の「6.数インチ越しに俺を見るが switch 押せば人生の主役は映る」。“君はスマホの画面越しに俺のことを見てくれてるけど、その電源を押して画面をブラックアウトさせれば人生の主役である君が写ってるんだよ”っていう、ギフトワードすね。「6.数インチ」って言葉を聞いてすぐにスマホのことを言ってるってわかる人はあんまりいないと思うけど、ふとした時にスマホのインチ数を知って、その人の人生の中で俺のリリックのギミックが動き出すみたいな。

 

―全曲の解説を聞いたら面白そうですね。

難解なリリックを作っちゃいがちで。そこでギミカルに人に楽しんでもらうのもすごく大事だけど、素直に愛してるなら愛してるって言った方がわかりやすい時も人生にはあるんだよっていう俺への戒めでもある(笑)。

 

―では、自分が思う自分はどんな人ですか?

“B級ドラマチック野郎”っすね。A級に憧れてるくせに B級映画手放せないタイプの男っていうか、サブカルチャーへの敬意と愛情は深くて、同時にドラマチックであるっていう点においてはA級にも劣らないB級でありたい。レッドカーペットを歩きたいとは思わないけど、生涯俺が音楽をやってる限り面白がってくれてる人たちが結構な熱量でいて欲しいなと思ってる。結構笑い泣きとかしたいタイプ、感極まりたいですね。その部分は隠すんだけど、つい溢れ出しちゃうぐらいの弱点はないとチャーミングじゃねえなと思ったり。やっぱ艶めいていたいっす(笑)。

―周りが思う自分とギャップを感じることはありますか?

あります。昔は結構閉鎖的で、全てに対して固い考え方で向き合ってたんですけど、ふとした時に近い友人に、ちょっと隙が生まれるぐらいの余裕を見せた方が人は愛してくれるよみたいなことを言われて。その時は理解できなかったけど、今は確かにって思える。みんな腹筋シックスパックじゃねえなみたいな(笑)、いろんなスタイルがあっていいんじゃんって、そういう意味で多様性を受け入れるようになったのは俺の方だった。今は仲間達に繊細なところを見せることもあるし、つたない自分を結構受け止めてもらったりして、愛に溢れてる感じすね。

 

―これだけは他人に負けないと思う点は?

俺、人をめっちゃ見るんですよ。だからちょっと話したらどういう人か結構わかる。究極初めての電話で「もしもし」を聞いただけでなんとなく。人の感情に敏感すね。あとはよく喋る(笑)。

 

―尊敬する人や憧れる人は?

知り合うプロフェッショナルな人たちは大体みんな尊敬してます。でも嘘のリスペクトは払わないようにしてるすね。場面場面でかっこいいなって思う人はいても、憧れや理想っていうのはあんまりないです。

―最近自分や周りに起きた出来事で一番笑えたことを教えてください。

仲間の一人に、会社に遅刻したり、ちゃんと仕事しなかったり、社会の適合性がない全然ダメなやつがいるんですけど、そいつの誕生日にNintendo Switchをプレゼントしたら、めちゃくちゃハマって、働いてる時も胸のポケットに入れてたらしくて。ある日他の社員たちが残業してる中、「俺は定時で帰るし」みたいな感じで意気揚々に立ち上がったら、そのSwitchが内ポケットからゴトッと落ちちゃって、場が凍りついたみたいで。それがその時ちょうど公開されてた映画の「Joker」の、アーサーが胸に忍ばせてたピストルを働いてた保育所で落としちゃうシーンとどんかぶりだったって、得意気に語ってきた(笑)。それを聞いた時は爆笑したっすね。

 

―今気になるアーティスト、よく聴いている曲は?

国内だったら、ラッパーで言うとTOKYO TRILL。友達なんすけど、彼らのアルバムはかっこ良かった。チャーミングでキュートで、音楽への愛が超伝わってきました。海外は、韓国のオルタナティブ集団Balming TigerのOmega Sapienはずっとかっこいいなって思ってる。ネオいっていうかトライブ感があって、ちょっとドラムンぽいというか、疾走感とプラスチック感が“ザ・アジアンスタイル”。

 

―今後フィーチャリングしてみたい人や、一緒に曲を作ってみたいプロデューサーはいますか?

特定で誰っていうのはいないです。セッションとかジャンルによっては可能性あるけど、僕にとってフューチャリングは未知の領域ですね。ただ、どんな人でもプロデュースや曲によって変わるから、メジャー/インディーズ問わず、未知の可能性とセンスを大切にできるプロセスならなんでもやってみたいと思う。あと、音まで踏み込みたいんで、ビートメイカーさんとのセッションも楽しみですね。「B1」を含め一つのスタイルができたんで、それとのセッションみたいな。

―では、今世界で起こっていることで気になることは?

正直世界を語れないっすね。俺の解釈では、湾曲してないストレートな情報が少なすぎるっていうか、どっちかのサイドの話が多くて、正しいとか間違ってるの線引きが曖昧なことが多すぎると思ってて。コロナ以降元気なくなって勢いはどんどん下降してるかと思ったら、いろんな世界で頑張ってる者達が新しいサイクルを作り始めてるみたいな、漠然とした世の中の動きみたいなのはあると思うけど、俺から見たらまだ正しく写る高さじゃないんで、あれはいいと思うとか悪いと思うとかって言えない。自分の正解を一個持っとくべきぐらいにとどまってます。

 

―将来住んでみたい国や場所はありますか?

投資的な意味だったら別だけど、持ち家とか定住地はいらないっすね。ずっと旅してたい。ヒップホップ以外のカルチャーもめっちゃ関心あるんで、イギリスとかアメリカとかいろんな所に行きたいです。

 

―これから実現したいと思っていることや目指す場所は?将来はプランニングして見てます?

音楽一本でずっと生きていくかどうかは微妙っすね。というのは、音楽を入り口として違うことに興味が膨らむことがあるんで。自分のスタンスや、自分のアイデンティティへの敬意を持ちつづけていたいけど、例えば豪邸や高級車が欲しいとかっていうのはあんまりないです。お金に悩むことなく音楽を作り続けて、創作に対して心が枯れないようにずっと動いてられたらいいですね。

 

―最後に、IDさんにとってヒップホップとは?

友人すね。一番古い友人みたいな感じで、いつもイケてることを教えてくれて、俺よりちょっとお洒落に仕上がってて刺激を受ける。喧嘩もするし嫌いになることもあるけど、結局友達だねって、一番最初に思いつくやつ。


ID 2nd Album「B1」Out now

Tracklist:
1. B1
2. Gangsta Walk
3. Fortune
4. TEL
5. o3
6. stance
7. YASUKE
8. DIP!
9. 巌窟王
10. UP
11. CEO
12. 99torch
13. 1

ALL Produced by National hot Line

Label:JCCTOKYO / National hot Line

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