ryuto kasahara
嬉しさも悲しさも、リズムに乗せればぶち上がる。自分だけのR&Bを追い求めて
Text & Photo: Atsuko Tanaka
札幌を拠点に活動するR&Bシンガー、笠原瑠斗。90年代のR&Bやヒップホップに影響を受け、18歳で訪れたニューヨークでの経験を原点に、自身のルーツと向き合いながら独自のレイドバックなスタイルを築いてきた。活動10周年を迎えた現在は、B.I.G.JOEやBudaMunkをはじめ、かつて憧れていたアーティストたちとの共演も実現。札幌の自然や旅先で出会う人々から受け取ったものを、素直な言葉とリズムに変えている。
今回、音楽に目覚めた青年時代やニューヨークで受けた衝撃、3枚目のアルバム『Get Down』の制作、B.I.G.JOEとのツアーを通して学んだこと、そして彼にとってのR&Bとは何かを聞いた。
―小学生低学年の頃から音楽に触れていたそうですが、どんな子どもで、どんなことに興味を持っていましたか?
一人っ子なんで、基本的に一人で遊んだり、同じ団地に住む幼馴染と遊んだりしてました。幼少期は音楽に対してそこまで詳しくなかったですけど、小学2年生の頃に、なぜかは覚えてないけど、両親にお願いしてピアノを習い始めて。俺の両親が好きなSMAPの歌を真似して褒められたりとかはあっても、歌をやりたいという意思はまだなかったです。そこからEXILEとかも好きになって、ボイトレに通い出しました。
―ボイトレに通い始めたのはいつ頃ですか?
高1から高校卒業前まで、EXILEが運営しているEXPGという学校に通って。そこのボイトレの先生がR&Bを流してくれて、ある時Blackstreetを聴いて衝撃を受けたんです。そこからは学校の授業中、ずっと何かを書くふりをして、R&Bシンガーの名前とか90年代の曲名を書いたり、そっちの勉強に走りましたね。学校の勉強は全然好きじゃなかったし、運動もできなかったんで、そういうなかで自分の好きなものを見つけていって。同時に5lackさんやOlive Oilさんとか、日本のヒップホップも聴くようになり、日本語でも黒人の音楽を表現できるんだと知りました。
―ニューヨークに行かれたこともあるんですよね。滞在中、衝撃的だった出来事や経験はありましたか?
18歳の時に両親にお願いして、1カ月行きました。最初の半月ぐらいは両親もいて、後半は現地の知り合いにいろいろ紹介してもらいながら一人で動いてたんですけど、今思うと本当に何もわかってなかったなと思います。でも、若さゆえの自信というか、考えない分行動して、結果良かった感じです。一番のカルチャーショックは、現地の人間性ですかね。一人ひとりに個性があって、同じような人は誰一人いない。みんな自分の意見をはっきり言うし、そういうのを見て「これでいいんだ」って気づいて。
―向こうの人は歌唱力も全然違いますよね。そういう部分ではどうでした?
食らって、屈辱を味わったというか、「俺は無理だ」と思ったっすね。アマチュアの人たちが出るオープンマイクに出て歌わせてもらったんですけど、出てる人たち全員めちゃくちゃ上手いんですよ。「これがアマチュアだったら、俺はどうすればいいんだ?」っていう。今思うと、よく歌ったな。
―その時は何を歌ったんですか?
「Change the World」を。当時憧れてた東京のシンガーが歌っていたのを見て、俺もやりたいなと思ってたんで。みんな優しく聴いてくれたけど、それが逆に悔しかった。本当にやばい時はみんな立つじゃないですか。「うわー!」みたいな。
―確かに。ちなみに、当時一番影響を受けたアーティストはBlackstreetだったんですか?
そうですね。あとはD'Angeloとか、90年代の黒人の音楽全体を一つのくくりとして聴いてました。しかも、できるだけゆっくりな曲を。すごいスローテンポな曲なのに、ぶち上がる感じが刺さって、R&Bのアルバムからゆっくりな曲をひたすら探してた記憶があります。それと同時にBiggieとか、ヒップホップも聴いて。とにかく黒さを求めて、俺にはないかっこよさを追求したいと思って、いろんな曲を聴いてました。
―デビューは、ニューヨークから帰ってきた後ですか?
そうです。ニューヨークに行く前から、先輩のシンガーさんに「曲を作ってみなよ」って言われてたんですけど、ニューヨークに行ってる間にいろいろ話が進んで、帰国後にプロデュースしてもらってデビューしました。それから札幌を中心にライブをして、ちょっとずつ認知度を高めながら、とにかく曲を作って活動してました。
―今年はアーティスト活動10周年を迎えて、昨年は3枚目のアルバム『Get Down』をリリースされました。改めて、どんな思いを込めて作ったのか教えてください。
アメリカって、D'Angeloだったり、ローリン・ヒルとかエリカ・バドゥとか、シンガーの人たちもラッパーの人たちもめっちゃ聴いてるアーティストっているじゃないですか。でも日本は、R&Bとヒップホップのお客さんの層が違うし、クラブとかでの音の楽しみ方や遊び方も多分違くて。俺は、両方楽しいからみんなで遊べばいいのにと思うんですけど、ライブをするとリアクションが違ったりして、すごい難しいなと感じてたんです。だから、シンガーの人にもラッパーの人にも聴いてもらえるような、みんなに届く中心的なものを作りたいという思いをテーマに、それがネオソウルに寄っていったらいいなという気持ちも込めて、今回のアルバムを作りました。
ー今回、憧れのビートメーカーの方たちと制作されたそうですが、一緒に曲を作ってみて、学んだことはありましたか?
いっぱいあります。僕が憧れるベテランの方たちって複雑でかっこいい音楽をやってるから、「こうした方がいい」とか「こうして」って言われるのかと思ってたんですけど、俺がやりたいようにやるのが正解だって託してくれたんです。みんな、俺が全力でやったものを評価してくれるというか、自分のこだわりをちゃんと理解してくれて。だからよりプレッシャーを感じましたけど、すごくいい経験になりました。あと、改めて札幌の自然がすごく好きになって。
―自然、ですか。
俺が住んでる近くには山があって、川や海も1時間ぐらいあれば行けるんですけど、自然からはすごくインスパイアされるし、毎回新たな発見があるんです。昔から散歩したり、自然は好きだったけど、それが自分の音楽制作に、いい影響を与えてるとはわかってなかった。だけど、自分が楽しいと思ってやったことを音楽に組み込んで、それを評価してくれる人たちがいるってことは、それまで当たり前にやってたことを全力で噛み締めた方が、自分の個性につながると気づいたんです。
それから、制作中は積極的に海とか何もない自然の場所に行くようになりました。自然を見ると、なんか自信がつくっていうか、不思議なもんで安心するんですよね。ちなみにお風呂も大好きなんですけど、自然とお風呂にはその効力があると思っていて。そこで素直に、ありのままの自分で思ったことや感じたことをリリックに込めたい。そういうことも、今回一緒に関わってくれたビートメーカーの方たちが全振りしてくれたおかげで気づけたんですよね。
―素敵です。曲はいつもどのように作るんですか?
結構模索してますね、サッとできるタイプではないんで。自分の部屋にレコーディングブースがあるんですけど、ひたすらマイクの前に立って、朝までずっと向き合うみたいな感じです。俺、座らないようにしてるんですよ。立ちっぱなしで、できなくてもずっとにらめっこして、考え続けて。
―まずメロディーが浮かんできて、とか?
そうですね。フリースタイルじゃないけど、まず思ったようにバーッと声を入れ続けて、良かったところをちゃんとキャッチできる集中力を持ち続けてやるようにしてます。昨年、ジョージさん(B.I.G.JOE)が引退するまでのツアー「THE LAST DOPE JAPAN TOUR」を一緒に回らせてもらったんですけど、彼からはそのツアーを通して、集中力とか、一個一個に対する熱量のかけ方とかを教えてもらいました。
ほかにも、人との接し方を学びましたね。ツアーで、時にはゲットーだったり、いろんな地域に行って、いろんなラッパーや人がいるけど、誰といても彼はB.I.G.JOEとして変わらず、ちゃんとカマして帰る。そういうスタンスを見て、俺も自分と向き合った方がいいなって改めて思って。ジョージさんにしてみれば、その向き合い方は彼なりの最後の向き合い方だったかもしれないけど、俺は最後とかは関係なく、その向き合い方を当たり前にしていきたいと思った。だって、いつ死ぬかわからないし、何をもって最後かって、すごく難しいから。ライブに限らず、レコーディングもそうやって自分の好きなものと向き合って、集中して全力でいきたいと思いました。
―言葉でアドバイスをもらったとかではなく、行動を通してあり方を学んだということですね。
そうです。言葉じゃなくて感覚的に、心から学びました。そのツアーで一緒に回ったbuzzy.(バジー)っていうバンドがいて、ジョージさんはそのバンドとEPを作って、12月12日にZepp Sapporoでツアーの最後を迎えたんですけど、終わった後に俺はそのバンドメンバーと、「どうやってこの感謝をジョージさんに伝えられるだろう」って話して。「きっとジョージさんは、こういうことができるんだよって、ツアーを通して行動で示したかったんでしょ。だから俺らも同じことをやろう」ってなって、今一緒にEPを制作してるんです。多分、秋頃には出ると思います。それで全力でツアーを回って、いろんな人と接して、最高のパーティーをして、最後のライブで感謝を述べようっていう。「ありがとう」って言葉で言うんじゃなくて、行動で伝えようと。ちなみにその最後のライブの日は偶然にも、12月12日。ワンツー・ワンツーです。
―そのライブ、楽しみです!ところで、私が知らないだけかもしれませんが、日本で笠原さんのようなスタイルの音楽をやっている人って、ほかにいないですよね。
俺自身はそういう感覚は全くなくて、いちシンガーとしてやってきたんですけど、そうやって言ってくださる人が本当に多くて。
―それは、札幌をずっとベースにしていることも大きな理由の一つのように感じますが、ご自身ではどう思いますか?
本当にそうだと思います。東京ってやっぱりすごいけど、俺も札幌で頑張りたいと思うし、実際にそれをやってる先輩方がいて。ジョージさんをはじめ、THA BLUE HERBのBOSSさん、DJ HONDAさんとか。あと、札幌にはソウルバーがたくさんあって、店主さんは厳しい態度でお客さんと接していて、そこにはかっこよさがあるんですよ。札幌のルールやスタイルでずっとやってきてるから、俺も必然的にそうしないといけないなって思ってます。
―ライブでいろいろな土地に行くことも多いと思いますが、やはりいろんな出会いがありますか?
俺はライブ前に、お客さんと酒を飲みながら話すのが好きなんです。そうやって、その人の街に対する愛情とかを聞いたりして。例えば、福島の会津若松に行った時は、白虎隊がいた歴史のある街なので、手を合わせる場所がいっぱいあって、生半可に物事を言えるような場所じゃないなって感じたり、広島に行った時は、「親戚に被爆者がいる」とかって会話を通して、いろんなことを知ることができる。そうやって話を聞いた上でライブをするのと、知らんままするのは全然違うじゃないですか。俺も思いを込めて歌うから、そこで共感してもらえたら本当にうれしいし、パワーをもらいます。
それが日本でできることも幸せで。前は、ニューヨークとか海外に行かないと得られないことだと思ってたんですけど、自分が知らないだけで、日本もその土地に行けば知らないものがいっぱいあるじゃんって。いろんなところに呼んでもらえて、本当にありがたいです。
―では、笠原さんの音楽のスタイルを一言で表すとしたら?
レイドバック、ですね。独自のリズムを追求していきたいです。
―オリジナリティを確立することに苦労している人は多いと思いますが、アドバイスをするとしたら、何と言いますか?
己を信じること。俺はそれ以外、やってこなかったかもですね。最近はヒップホップシーンの知り合いも増えたし、俺の音楽を理解してくれる人が増えたけど、最初はそこまでいなくて、両親や周りの人たちも、俺がやろうとしてることが見えてなかったと思うんですよ。でも、ずっと思い続けたんです。「どうやったら憧れのジョージさんや5lackさんとかと一緒に音楽ができるんだろう」って。いろんなシーンに入ってみたり、メジャーのレーベルに入ったりして、いろんなことを言われても、そう思いながら歌い続けました。だから、自分を信じていれば夢は叶うと思う。そうやってみんなが信じたら世界が変わると思います。
―信じる力は強いですからね。では、今後の夢やビジョンは?
ありがたいことに、今、夢が本当に叶って、やりたい人と音楽をやれていて、憧れのビートメーカーの方とも曲を制作中です。でも、その人たちとただ一緒に音楽を作るんじゃなくて、やばい曲を作りたい。夢が叶った今の現状は、俺からすると、山から水が流れ始めた感覚で。どういう川の流れになるかはこれから次第だけど、自分のセオリー通りに水を流したい。あとはやっぱりニューヨークに行って、向こうで味わった経験をもう一回したいですね。世界で制作して、俺が思ってる、自然を通して感じる感覚を向こうでも味わってみたい。
―いつか一緒に曲を作ってみたい、憧れのアーティストやプロデューサーはいますか?
D'Angeloを天国から呼び起こして、一緒に音楽を作りたいですね。あとはタイラー・ザ・クリエイターが好きなんで、彼とやれたらいいな。彼は日本好きですし、いつか会えるんじゃないかなって思ってます。
―最後に、笠原さんにとってR&Bとは?
自分の人生観をブルースとするならば、そこにリズムを乗せたのがR&Bで、うれしいことも悲しいこともリズムに乗せるとぶち上がる。それがR&Bの魅力。最高な気持ちになる。
―アルバムに「Thank You R&B」という曲がありますが、あれはやはりR&Bに対する感謝の気持ちを伝えるために作ったんですか?
はい。R&Bを作るのは本当に難しくて。追えば追うほど、どれだけ難しいかがよりわかるようになる。どの名曲も、いろんな気持ちを込めて1曲1曲作られてるから、それを知るほど難しく感じるけど、難しいとばかり思っていてもしょうがないんで、「ありがとう」って言おうと思って作りました。たまには好きなことに「ありがとう」って言いましょう!