ShiGGa Shay

Flow State: ShiGの多言語ヒップホップ・ユニバースの中で

Text & Photo: Atsuko Tanaka

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シンガポール出身のラッパー、SHIGGA SHAY(シガ・シェイ)。クイーンズタウンのストリートからアジア各地、そしてホワイトハウスのステージまで、彼は世界をまたにかけて活躍してきた。英語、中国語(マンダリン)、福建語(ホッキエン)、シングリッシュを自在に切り替える多言語ラップで知られる彼の人生は、“ハッスル(努力)”、“ヘリテージ(ルーツ)”、“ハート(情熱)”が交錯する物語だ。
今回の東京滞在中、彼にこれまでの歩み、クリエイティブの進化、そしてヒップホップがいかに彼のアイデンティティを形づくってきたかを聞いた。


— 日本は今回で2回目ですよね?最初に来たのは6年前くらい?
一番最初に来たのは子どもの頃だけど、トランジットで成田に寄っただけ。ロサンゼルスに行く途中で、父が数時間だけ外を歩かせてくれたんだ。本格的に東京に来たのは2017年だね。

— 東京の第一印象は?
東京は僕のクリエイティビティに本当に刺激を与えてくれた。街の構造やリズムが、たくさんのアイデアを生み出してくれたんだ。千代田区から原宿まで、それぞれのエリアに独自の魂がある。まるでアジアの街ごとに、それぞれ異なる物語があるようにね。

— 今回は何がきっかけで?
主にJP the Wavyとのミュージックビデオ撮影のため。Wavyとは2017年からの付き合いで、これまでにも何度か一緒に仕事をしているんだ。

 

— シンガポールで育ったんですよね。今の街の印象は?
すごく進化している。ラッパーから映画監督、デザイナー、ミュージシャンまで、新しい世代のクリエイターが次々と現れていて、それぞれが自分の方法で限界を押し広げてるよ。もともとシンガポールはビジネスや金融の街として知られてきたけど、今はアートシーンも少しずつ成長して、ようやく注目を浴び始めているところ。アジアでクリエイティブな活動をするには、とてもワクワクする時代だと思う。

— 子どもの頃はどんな少年でした?
家が転々としてたから、落ち着いた場所はなかった。父は飛行機のCAで、母は美容師。お金はなかったけど、愛があった。それがすべてだった。僕はひとりっ子で、9歳の頃にラップを始めたんだ。きっかけはEminemの“Cleanin’ Out My Closet”と“Lose Yourself”。聴いた瞬間、魂に直接語りかけられたようで鳥肌が立った。14歳の頃には、これを一生やると決めた。

— ご両親はその夢を応援してくれましたか?
両親は業界のことなんて何も知らなかったし、コネもまったくなかった。でも、それでも全力で支えてくれたんだ。どんな夢であっても、僕のやりたいことを応援したいという気持ちだけは強かった。そのことには今でも本当に感謝している。父が初めて僕をクラブに連れて行ってくれたのは僕が14歳のとき。遊びに行くためじゃなくて、音楽業界に少しでも足を踏み入れられるようにと考えてのことだった。父はみんなに「うちの息子はラッパーなんだ!」って言って回ってたよ。本人も“ラッパー”がどういうものかよく分かっていなかったのにね。

— 素晴らしいお父さんですね!それで、本格的に音楽制作を始めたのはいつ?
安いマイクを買うためにお金を貯めて、母が小さなYamahaのミキサーを買ってくれた。16歳のときに自宅で初のミックステープ「ShiGGa Shay in the Building」を録音したよ。17曲入りで、全部自分で仕上げたんだ。それをYouTube、Bandcamp、MySpaceにアップしたら、次第に世界のいろんな人たちに注目されて、WorldStarHipHopで「Unsigned Talent of the Week」として取り上げられた。それがきっかけで、シンガポールより先に海外で知られるようになったんだ。

— シンガポール国内で知られるようになったのは?
2013年頃かな。福建語、マンダリン、英語、マレー語をミックスした「LimPeh」というマンダリン×シングリッシュの曲を出したんだ。そのあたりからシンガポールでも僕の名前が知られるようになった。その後はステファニー・スン、Jay Park、MJ116といったアーティストたちとのコラボが続いた。2016年には、オバマ大統領が在任中のホワイトハウスのアフターパーティに招かれてパフォーマンスすることになってね。あれは本当に夢のような経験だった。

— すごい!これまでで最大の転機は?
間違いなく2023年だね。ColorsxStudiosから招かれて、「Rainy Days」という曲を披露した。福建民謡の「天黑黑(Tien Hei Hei)」という曲をサンプリングしていて、マンダリンでラップした。Colorsでマンダリンの楽曲が取り上げられたのは初めてだったんだ。そのパフォーマンスはアジア中で話題になって、同じ年にはシンガポールのナショナルデーパレードのテーマソングの作詞・演出も任された。あの一年で本当にすべてが変わった。自分のルーツと改めてつながるきっかけになったんだ。

— マンダリンで書くのは英語で書くのと違いますか?
全然違う。英語はストレート、マンダリンは多層的。一つの言葉に多くの意味がある。自分の感情を別の言語で正直に表現できるようになるまで何年もかかった。でも僕は挑戦が好きなんだ。まるで新しい章を開くような気分。

— アジア各国のヒップホップシーンを見てきて、変化をどう感じますか?
俺が始めた頃、シンガポールにはほとんどラッパーがいなかった。でも今は才能あるラッパーやプロデューサーが新しい世代としてどんどん出てきている。アジア全体でもその成長を見るのは本当にすごいことだ。マレーシアにはJoe FlizzowやSonaOne、韓国にはJay Park、pH-1、Sik-K、中国にはMasiwei & Higher Brothers、タイにはF Hero、Thaitanium、Young Ohm、そして日本にはJP the Wavy、OzWorld、Awichとか、本当に多くのカッコいいアーティストがいる。SNSがすべてを変えたよね。誰もが自分の声を発信できるようになった。でも“ラップができる”ことと“ラッパーである”ことは違う。写真も同じで、誰でも撮れるけど、誰もがフォトグラファーとは限らない。

— 今後コラボしたい日本人アーティストはいますか?
たくさんいるけど、まずはMIYAVI。2024年の初めにシンガポールで会ったんだ。彼がイベントで僕のライブを観てくれて、翌日の彼のショーにゲストとして出てほしいと誘ってくれた。リハーサルもなし。ただ純粋なエネルギーのぶつかり合いだった。あの瞬間は本当に最高だった。

Shigga Shay and Miyavi

— 自分の音楽を一言で表すなら?
“Flow”。水のように形がなく、どんな状況にも適応できる。やさしくも力強くもなれる。ラップにおいてはフローが言葉に命を吹き込む。そして人生においても、フローの中にいることで心が整うんだ。

— 今取り組んでいるプロジェクトは?
2枚のアルバムを制作中だよ。1枚はシングリッシュ、もう1枚は中国語。さらにPH-1とJP the Wavyとのコラボ曲も出す予定。俺は英語、シングリッシュ、中国語、マレー語、少し日本語も混ぜてラップしてる。PH-1は韓国語、Wavyは日本語。シンガポールのカルチャーと声を世界に届けたい。

— 普段は同じプロデューサーと組むことが多いですか?
そうだね。メインのプロデューサーはイギリス出身で、17歳のときにネットで知り合ったんだ。他にも、台北、上海、成都、タイ、シンガポールのプロデューサーとも一緒にやってるよ。テクノロジーで距離は縮まったけど、本当に自分を理解してくれるプロデューサーはそう多くない。

— ヒップホップ以外の音楽も聴きますか?
生演奏やオーケストラ音楽が大好きなんだ。ストリングスもホーンも、全部好き。子どもの頃は学校のオーケストラで演奏していたから、音楽性そのものを深く理解していると思う。伝統音楽も好きで、どの国のものにも瞑想的な要素があって、集中力を高めてくれる。

— 最近よく使う言葉は?
“Ok Can”。シングリッシュの表現で、どんな場面でも使えるんだ。「会える?」「Can!(うん!)」「ごはんどうだった?」「Okay, can.(まあいい感じ)」シンプルだけど力強くて、シンガポールらしさをすごくよく表している言葉だね。

―では、あなたにとってヒップホップとは?

ヒップホップは僕にとって人生そのものだ。学校の先生からは教えてもらえないような、たくさんのことを学ばせてくれた。他のどんなものよりも自分を成長させてくれて、共に歩んできた仲間たちとも出会わせてくれた。このカルチャーに出会い、そこから学び、そしてアジアのヒップホップの一員として活動できていることに、心から感謝しているよ。

— 最後に、今後の夢を教えてください。
日本で単独ライブをやること。まだ実現できていないんだ。日本の文化が大好きだし、もっと深くつながりたい。もしかしたら次にインタビューしてもらう時は、日本語や福建語、中国語、あるいは韓国語で答えているかもしれないね。



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